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【淡路歴史探訪】その5 淡路の富の7割を集積した軍港 江井
- 歴史
レポーター紹介
投稿者 | 歴じい |
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性別 | 男性 |
年代 | 50代 |
住まい | 兵庫県淡路市 |
趣味 | 読書(司馬遼太郎など) |
自己紹介 | 淡路生まれの淡路育ち。歴史好きで戦国時代以降、明治の近代化までに興味があります。あまり光の当たっていない「淡路島の歴史や人物」をご紹介できたらと思っています。 |
徳島藩の軍港
淡路の富の7割を集積した海商の街
日本一の線香の町 江井
藩の軍港として港を整備
「江井」のはじまりは、戸数20戸にも満たなかった寒村に、徳島藩が淡路島西海岸の防衛の拠点として寛永20年(1643年)に藩邸を構え、『御船蔵』や『御番所』などの藩の役所を置き軍港として整備したことからはじまる。以来「海港」として発展した「江井」からは海運業で利益を上げる豪商が多数出現した。
徳島藩の記録では、江戸時代418軒の内なんと410軒が船乗りなどの海運関係で、船が128艘あったとある。大坂(当時の大阪)・兵庫をはじめ各地で仕入れた物を、九州・五島方面まで販売を行い、西日本各地の需要と供給を睨みながら情報を駆使して幅広い通商を行なったという。あらゆる物資をあつかう海上の総合商社であった。
幕末『淡路の富の7割は江井浦にある』とまで言われた「江井」には、海商達の豪邸が街のあちこちに今も残っている。
旧江井徳島藩々邸門 (現在は移築され法華寺山門)
日本のお線香の7割を生産
嘉永3年(1850年)「江井」の田中辰造が泉州堺より熟練職人を連れてきて、線香の製造にあたらせたのがはじまり。
海運の街であったため、原材料の仕入れや販売ルートを持っており、本場・堺を抜いて「江井」は日本の線香の7割を生産する日本一のお香・線香の町となった。
「江井」近辺には、14もの線香会社があり、全国の線香製造の7割を占めている。
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くつろぎとおもてなしのグッズとして
現在では祈りとしてだけではなく、くつろぎ、おもてなしとして多様な商品が開発されていて、工場によっては直売店や体験コース、見学コースをつくっているところもあります。日本の文化である香を楽しんでください。
※御礼
撮影ご協力:薫寿堂様
協力:兵庫県線香協同組合様
参考文献:郷土史江井
※記事内容は取材当時の情報です。詳細は各イベント・施設・店舗までお問い合わせください。
Date:2021.07.20