事業概要

永田青嵐顕彰全国俳句大会

永田青嵐顕彰全国俳句大会

淡路島が生んだ偉人「永田青嵐」の功績を広く全国に発信し、俳句文化を通じたふるさと意識の高揚や、交流人口の増加による淡路島の活性化を図ることを目的として俳句大会を実施します。

第14回 永田青嵐顕彰全国俳句大会

第14回 永田青嵐顕彰全国俳句大会募集詳細は下記ボタンからご覧ください。

過去の大会について

永田青嵐について

~淡路島が生んだ偉人 永田青嵐~

1876.7.23~1943.9.17
兵庫県三原郡(現、南あわじ市)生まれ。
本名、秀次郎。1899年、第三高等学校(現:京都大学)法学部卒。旧兵庫県立洲本中学校長、三重県知事、貴族院議員、拓務大臣、拓殖大学長などを歴任。
東京市長も2度務め、1923年関東大震災時からの復興、1940年に開催予定だった幻の東京オリンピックの招致に尽力。
俳句は、三高在学中に寒川鼠骨の手ほどきを受け、後に高浜虚子に心酔。句は特別枠で随時俳誌「ホトトギス」に掲載された。代表句として「凩に迫はるゝ如く任地去る」がある。

エピソード

  • 関東大震災の時に若干47歳で東京市長を務め、犠牲者6万人という甚大な被害をうけた東京市の被災者に示した深い思いやりと、復興の為の適切な指揮と迅速な処置は、東京市民を安心させ、帝都復活を早めた。
  • 震災でなくなった方は日本人も外国人も、富める人も貧しいも、分け隔てなく慰霊しなければという強い気持ちを持って、退職金を全部使って高野山に慰霊塔を建てた。
  • 彼は政治家としての本名ではなく、「俳人・青嵐」とよばれるのをもっとも喜んだといわれる。
  • 自然体の流れを大切にした「自然体の伝道者」として尊敬を受けている。